インフォメーション
2001年07月

彼は彼なりにいろいろと感じたり、考えたりしながら生きている様です。

2001年07月31日 火曜日

テレビでヒトラーの日記の話をしていた。ヒトラーの日記が発見されて一時騒然となったけれど、実は偽造されたもので本人の書いたものでは無かったというもの。ヒトラーは比較的新しい時代の人だから、こうして見破ることが出来るけれど、古い時代に偽造されたものについてはどの様にその真偽を確かめるのだろう。ふと、疑問になった。あるいは僕らが真実と思っていることの大部分は捏造されたものなのかも知れない。そう考えると虚しい様な悲しい様な気持ちになるけれど、それを書いた人物だけはきっと草場の影で腹を抱えて笑ってるんだろうなあ。

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2001年07月30日 月曜日

先日、無人島に1冊だけ本を持って行くなら・・・、という話になって僕は迷わずに吉村昭の『天狗争乱』を上げた。ホントは『桜田門外ノ変』も『長英逃亡』も好きなのだけど、どちらも上下巻なので1冊という枠からは外したのだ。じゃあ、何故吉村昭の小説なのかというと、悲劇に向かって落ちて行く時代のうねりの様なものがこれでもかという程執拗にかつ淡々と綴られおり、結末を知っていながらその過程につい引き込まれてしまうという吉村昭マジックに惹かれているからなのだ。この3冊は俊逸です。

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2001年07月29日 日曜日

急に涼しい日が続いて夏が終わったのかと思えば、そんなことはなく、まだ8月の本番が待っている。この時期、嬉しいことと言えば、日が長いことで、それだけ冬よりも長い時間史跡を散策することが出来るのだけど、激しい日差しは往々にして逆光の原因になったりして素人の僕にとってはなかなか思う様にはいかない。秋が待ち遠しいけれど、秋はまだまだ遠い。

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2001年07月26日 木曜日

後で散策ノートにアップするつもりではいますが、ざっとどの辺りを歩いて来たかといいますと・・・。結局、金沢を取り止め、敦賀に足をのばし、福井を見てまわって、飛騨高山経由して家路に着くという・・・、何とも節操の無い旅行となりました。個人的には120%充実してましたけど。只今、デジカメからパソコンへ画像の取り込み中。200枚越えました。

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2001年07月25日 水曜日

昨日の夜遅くに帰宅。連休初めの2日間は別の用事があったため、福井方面に出掛けたのは日曜日から昨日までの3日間。いつものことながらかなり駆け足だったけれど、収穫は沢山ありました。本職のほうが忙しい時期に入ってしまったので、少しペースは落ちると思いますが、出来るだけ早く画像を公開出来る様にしたいと思ってます。久し振りに海水浴なんかして、がらにもなく日焼けしました。腕の辺りが痛痒いです。

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2001年07月19日 木曜日

丸善という会社の出版事業部より『江戸東京重ね地図』というのが発売されているらしい。新聞広告が入っていた。安政3年の古地図に現在の地図を重ねたもので、大人のためのエンターテイメント地図ソフトという触れ込みのCD−ROMブック。地図データをパソコン上で検索することが出来る。14800円という値段を高いと見るか、安いと見るかだけれど、どこかにサンプルとかないのかなあ。

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2001年07月18日 水曜日

日本海側の海に海水浴に行こうという話があって、能登半島方面に出掛ける計画を立てていたのだけれど、どうしても幕末から離れられなくて、結局福井まで足をのばすことにした。福井、金沢をまわって帰って来る2泊3日の旅。いつものことながら、福井の史跡はこれから調べる予定。間にあうのか、どうか。

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2001年07月13日 金曜日

幕末のマニア度みたいなものを考えた。深度で表すとして例えば深度5を一番マニア度が強いものとし、一番深いところに位置するものとする。逆に深度1は世間一般的に知られていることでマニア度が弱いものとし、一番浅いところに位置するものとする。この場合、細谷十太夫とからす組はどの辺りに来るだろう。深度3よりは深いと思うのだけど。

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2001年07月11日 水曜日

大佛次郎の「細谷十太夫《からす組》」を読み始めた。仙台藩については、細谷十太夫とか、坂英力とか、玉虫左太夫という名前は知っていてもあまり詳しく(特にからす組についてはほとんどと言っていい程)知らなかったので、小説とは言っても読んでいて面白い。どこまでがフィクションなのかが問題ではあるけれど、仙台藩に興味を持つひとつのきっかけにはなっている。養軒堂を始め、玉虫左太夫や坂英力、但木土佐といった人達の墓など、前回周りきれなかった史跡も多い。秋くらいにまた美味しい牛舌を食べに行ければ、と空想してみたりする。

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2001年07月10日 火曜日

先週ひいた風邪。週末の無理が祟ってか悪化。久し振りに辛い思いをさせられた。まだ熱っぽいけれど、峠は越えた様なのでぼちぼち復帰します。

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2001年07月04日 水曜日

昨年の日記を読み返したら、司馬遼太郎記念館のことが載っていた。あれから1年、どうなっただろうと思って久し振りに覗いてみると、2001年秋完成予定と書かれていた。司馬遼太郎記念館のホームページでは工事の様子も見ることが出来る。完成したら、きっと、幕末ファンのメッカの1つになるんだろうなあ。

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2001年07月03日 火曜日

武市半平太、岡田以蔵らの命日。1865年のこの日(慶応元年閏5月11日)、土佐藩は武市半平太に切腹、岡田以蔵らに斬首を言い渡し、それらは即日決行された。武市半平太37歳、岡田以蔵28歳の初夏の出来事だった。それは土佐勤王党が消滅した瞬間でもあった。

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2001年07月02日 月曜日

天気のいい日が続くと遠出をしたくなって来る。これはもうほとんど病気の様なもの。能登半島行きの急行だとか、駅に停まっているのを見ると、ふらっと乗ってしまいたくなる。理性を投げ捨てることが出来たらどんなに楽しいだろうと思う。能登の幕末史跡って何だろう。そんな妄想ばかりが膨らんでいく月曜日のプラットホーム。

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2001年07月01日 日曜日

昼過ぎに京浜東北線から南北線を乗り継ぎ、本駒込駅に向かう。縁があって安井息軒を紹介するページに写真を提供することになったため、養源寺にある安井息軒の墓に出掛けた。手許にある写真は光が入り過ぎてしまっているので、撮り直したかったのだ。ついでに周辺の史跡を歩いて来ようと思ったのだけれど、他の用事があったため、高林寺にある洪庵先生のお墓にお参りして、他に1つ2つお墓を探すのが精一杯だった。吉祥寺には行けずじまい。あの辺りはまた行くことになりそう。

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