インフォメーション
2001年06月

彼は彼なりにいろいろと感じたり、考えたりしながら生きている様です。

2001年06月30日 土曜日

晴れたら文京区にある養源寺に出掛けようと思っていたのだけど、あいにく天気は朝から雨。何となく本棚を物色していて「日本人の死に際 幕末維新編」を手に取った。下の句を忘れてしまい、ずっと気になっていた清河八郎の「魁て またさきかけん死出の山」の句を調べる。「まよいはせまし 皇の道」という下の句を見つけ、胸につかえていたものが取れた様な気持ちになった。この人が上山藩邸に出掛ける直前に高橋泥舟の家でこの句を認めたという白扇は何処にあるのだろう。

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2001年06月27日 水曜日

ぶらっと入った古書店で偶然にも大佛次郎の「細谷十太夫《からす組》」と早乙女貢の「からす組」を見つけた。仙台に行ったとき、細谷十太夫の墓に行ってみたりはしたけれど、細谷十太夫やからす組について、それほど詳しく知っていた訳ではないので、迷ったあげく両方買ってみることにした。普段、探そうと思ってもなかなかからす組関連の本なんて見つからないのに、小説とはいえ、こういう偶然もあるものだと妙に縁の様なものを感じてしまう。

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2001年06月26日 火曜日

「再現日本史」の第7号『最後の五稜郭決戦土方歳三、箱館に死す!』と第11号『大江戸大パニック「ペリー艦隊」来航!』を買った。前から買わなければと思っていたのだけれど、つい買いそびれてしまっていた。パラパラっとページを繰って見ると11号のほうには春に行ったばかりの戸田村の史跡などが掲載されていて、写真を見ながら他の史跡のことなども思い出した。「再現日本史」は写真が豊富で誌面も大きいため、眺めているだけで楽しい。途中で廃刊になる様なことなく、最後まで刊行して欲しいと祈るばかり。

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2001年06月25日 月曜日

そうしている人の事例をネットで見つけてから、うちも空いてるパソコンを使って実現したいと思っていたビデオをハードディスク上に録画するという話。まだ構想を実行に移す前に東芝から同様の方式で録画するビデオデッキが商品化された。空いてるパソコンがあったので・・・と思っていたけれど、これじゃあビデオデッキを買ってしまったほうが早いかも知れない。しかし、気になる値段のほうはどの位なのだろう。30GBのハードディスクに録画すると書いてあった様な気がするけど、オープン価格ということで値段は記載されていなかった。世の中、徐々にそういう方向に移行しつつあるのか、ビデオテープが消える日は存外早いかも知れない。

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2001年06月24日 日曜日

テレビ東京の「華麗なる!ニッポンの“名家”密着取材」という番組の中、藤原定家を先祖に持つ冷泉家の24代当主夫人と重要文化財に指定されているという屋敷が紹介された。華族制度の廃止などで土地や屋敷を手放さなければならないところにまで追い込まれたこともあったという。しかし、府の職員から重要文化財に推薦してあげるから・・・、と救いの手が差し伸べられ、先祖伝来の屋敷と文化を守ることが出来たとのこと。800年間伝統を守り続けている家も凄いと思うけれど、重要文化財に推薦することで、伝統がとぎれるのを防いだ府の職員の行動に心が動いた。

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2001年06月23日 土曜日

前回散策した青山霊園とその周辺の幾つかの史跡の画像をアップした。史跡の数という意味では大したことはないけれど、アップしたお墓の数は62件に上っている。青山霊園が群を抜いているのは確かだけれど、カテゴリー別メニュウのお墓の項目に並ぶ人の数がついに200を突破した。次の目標は300。年内に・・・と言いたいところだけど、さすがに年内は無理だろうなあ。

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2001年06月22日 金曜日

先日、青山霊園関係で調べものをしていたときのこと、偶々吉祥寺のページに行きあたって、他にもまだ幕末の有名人の墓があることを知った。どれだけ調べたつもりでいても漏れというものはあるものだと、いつものことながら思う。近いうちに安井息軒の墓がある養源寺に行かなければいけない用事があるので、ついでに吉祥寺にも足をのばして来よう。あ、もちろんあそこまで行ったら、洪庵先生のお墓参りにも行って来ます。

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2001年06月21日 木曜日

1868年のこの日(明治元年5月2日)、新潟県小千谷市にある慈限寺において会談が行われた。小千谷会談と呼ばれるこの席上で対峙したのは長岡藩家老河井継之助と北陸道鎮撫総督府軍監岩村精一郎である。河井継之助は長岡藩の中立を説いたと言われるが、24歳の岩村精一郎の眼には河井継之助も唯の田舎家老程にしか写らず、会談はわずかに30分程で決裂したという。この会談の決裂により、新政府軍は北越戦線において予想外の苦戦を強いられることとなった。この会談が行われた部屋はいまでも小千谷市の慈眼寺に残されている。

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2001年06月20日 水曜日

この日は新選組副長土方歳三の命日。彼が1869年のこの日(明治2年5月11日)に亡くなってから132年が過ぎた。なかなか命日にお墓参りに出掛けることが出来ない。合掌。

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2001年06月19日 火曜日

小泉内閣は依然として高い支持率を誇っている。「聖域なき改革」を標榜し、構造改革を推し進めようとする小泉内閣は先週の木曜日よりメールマガジンの発行を始め、これまた好評を博している様子。僕達は歴史の転換期に立ち会っているのだろうか、ふとそんなことを考えてみたくなった。あるいは何年かのちの教科書には「聖域なき改革」という言葉が太字で載るかも知れない。人気だけで終わるのか、歴史の転換期となるのか、まだ判らないけれど、メールマガジンの登録だけしてみようかと思った。僕らの先祖もまた同じ様に各時代における歴史の転換期を近くから、遠くから見詰めてきたに違いない。

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2001年06月18日 月曜日

明治政府に出仕した人物の経歴を見ていると多くの人が晩年になって枢密顧問官という役職に就いていることに気が付いた。この枢密顧問官というのはどんな役職なのか。調べてみると枢密院とはもともと憲法審議のための機関として設けられたもので、天皇に助言を行う機関として、また元勲優遇者を政府にとどめるポストとして存在していたらしいことが解った。枢密顧問官は12人以上で構成され、これに閣僚および成年に達した親王が参加して枢密院を構成していたとのこと。高校の頃に習った様な気がするけど、ダメだ完全に忘れてる。

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2001年06月17日 日曜日

車にカーナビを付けた。これで史跡散策がぐっと楽になる。たった1つの史跡が見つからずに車を走らせ続けたことが何度あったことか。それを考えるともっと早くに付けることが出来ていたら、といま更ながら思う。思いっきり遠出したい気持ちになってきた。

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2001年06月16日 土曜日

遺伝子の解明が進んでいるけれど、遺伝子から先祖を辿ることというのは出来ないのだろうか。遺伝子情報のどこかに家系図の様なものが刻印されていたら面白いのにと思う。人は5代溯ると誰かしら有名人に行き当たるという。1代前にあたる両親2人から5代前にあたる32人までのツリーをひろげると62人もの人達がきれいな扇状に配置される。この62人が全て明らかになったならどんなに凄いか。各人物毎の略歴まで判ったら、どんなに嬉しいことか。と思うのは僕だけなのだろうか。

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2001年06月15日 金曜日

先日歩いた青山霊園の画像の整理を続けている。各人物の簡単な経歴を知りたくて学芸書林の「幕末維新人名事典」で調べる。この辞書に載っていない人物の名前を吉川弘文館の「明治維新人名辞典」で引き直す。この作業の繰り返し。前者に掲載されていない人物でも後者で引き直すと面白い様にヒットする。さすがと思いながらひとり悦にいっていたら、両方にヒットしない人物が現れた。その人の名は「乃木希典」。「明治維新人名辞典」に対する全幅の信頼が揺らいだ瞬間だった。しかし、何故漏れているのだろう。

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2001年06月12日 火曜日

昨日の話に少しリンクすることかも知れないけれど、宮沢賢治の実弟で宮沢清六さんという方が亡くなった。実弟というところに驚いたのと同時に、やはり宮沢賢治も近い時代の人だったのだということを再認識した。8歳年下の弟で97歳だったというから、宮沢賢治が生きていれば100歳を越えている。まあ、それは現実的ではないとしても、単純に計算すると僕が生まれた頃、70歳前後だったということになる。自分の祖父と同じ時代の人だったのだ。こうして考えると急に身近に感じられる様になるから不思議だ。僕はモノを知らな過ぎるなあ。

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2001年06月11日 月曜日

少し歴史という枠からは脱線してしまうかも知れないけれど、この日はノーベル文学賞受賞作家川端康成の誕生日。1899年(明治32年)のこの日、川端康成は大阪市北区に生まれた。彼が「雪国」という作品でノーベル文学賞を受賞した年を何気なく調べてみたら、僕が生まれる前年の出来事であったりして驚かされた。どうも太宰治だとか、川端康成だとかという名前を聞くと随分と遠い時代の人の様な錯覚に陥ってしまうけれど、あるいはどこかですれ違っていてもおかしくはない位、近い時代の人なのだ。偉大な功績を残した人=遠い時代の人という間違った方程式を知らず知らずのうちに正しいと思い込んでしまっている。もっと身近にも偉大な人は沢山いる。遠い過去だけが歴史ではないのだ。

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2001年06月10日 日曜日

昨日歩いたお墓の写真をちゃちゃっと整理してアップしてしまおうと思っていたのだけれど、昼間から缶ビールなんて開けちゃったのがいけなかったか、心も身体も気だるさに支配されてしまい、デジカメから画像を取り込むのが精一杯。しかし、150枚って・・・。

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2001年06月09日 土曜日

前回の教訓を胸に10時に外苑前駅で待ちあわせをして、海蔵寺に向かう。ここは京極越前守のお墓があるところ。前回は道を1本見誤っていた。お墓を写真に収めて、青山霊園に向かう。昨日、携帯にメールしておいたリストに従い、順にお墓を探して歩いた。午前中一杯歩いたところで昼食がてら麻布方面に抜け、ついでに長谷寺に足をのばして井上馨のお墓を写真に収める。再び、青山霊園に戻り、歩き終えたとき、時計は3時をまわったところだった。意外と早く回れたことに気を良くした僕らは、恵比寿まで足をのばすことにした。祥雲寺に向かい、荒井郁之助などのお墓を見てまわり、最後はガーデンプレイスで打ち上げ。梅雨入りした後だったので天気を心配していたけれど、前回に負けない程、良く晴れた1日だった。

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2001年06月08日 金曜日

明日歩く予定になっている青山霊園の下調べを行う。前回歩いた40数名の墓をのぞき、幾つかの本や資料をもとに幕末に関連のありそうな人物を拾っていく。名前を拾い終わってから、それでもまだ青山霊園を甘くみていたということに気が付いた。ざっと、調べただけでも3、40基はある。やはり、明日もそれなりに時間が掛かりそう。作成したリストを分割して携帯のアドレスにメールすることにした。プリンタが使えなかったために思い付いた苦肉の策だったのだけれど、この頃は気にいって多様している技なのだ。これが意外と役に立つ。万歩計も用意したし、あとは晴れてくれることを祈るばかり。

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2001年06月07日 木曜日

1887年(明治20年)のこの日、長崎造船所が三菱に払い下げられた。長崎造船所は、幕府直轄の長崎製鉄所が明治になって工部省所管の長崎造船局となっていたもので、同年4月に岩崎弥太郎の弟で当時社長だった岩崎弥之助から大蔵大臣だった松方正義に払い下げの申請が行われ、この日許可を受けたというもの。代金は45万9千円とのこと。ちょっと、現在のお金でどの位の値段になるのかは想像がつかないけれど、三菱に払い下げられたこの長崎造船所からは、のちに日本最大級の戦艦武蔵などが誕生することとなった。

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2001年06月06日 水曜日

今日のNHK「その時歴史が動いた」は、「土方歳三 北の大地に散る 〜戊辰戦争、最後の激戦〜」ということで土方歳三にスポットがあてられた。まだ見ていないので何とも言えないけれど、フランスで発見された資料などをもとに鳥羽伏見の戦い以降の土方歳三を掘り下げる内容らしい。そう言えば、「再現日本史」でも6月12日発売の7号で「最後の五稜郭決戦土方歳三、箱館に死す!」と土方歳三が取り上げられる。あの表紙の滅茶苦茶修正の入った写真には苦笑してしまうけど、番組や雑誌など重なるときには重なるもので、ファンとしては単純に嬉しい。ちなみに「その時歴史が動いた」の再放送は、土曜日の0時15分から(BSは13日の15時10分から)とのこと。見逃してしまった方はどうぞ。

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2001年06月05日 火曜日

NHKのドラマ「陰陽師」の最終回。稲垣吾郎演じる安部清明もこれでひとまず見納めとなった。結局最期まで僕の中の安部清明とイメージが重ならなくて、後半の2、3回は別の作業をしながら声だけ聞いてたり、たまにテレビに顔を向けたりしながら、なんとなく惰性で見ていたところがあるのだけど、こういう最期になるとは思っていなかっただけに少し意外な感じはした。蜜虫もいなくなっちゃったし、続編は作らないつもりなのかな。少し恐くて公式ホームページの掲示板はのぞいてないけど、ファンはあの終わりかたをどう見ているんだろう。それにしても、源博雅役の杉本哲太はハマり役だった。結局最後まで僕はこればっかり。(笑)

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2001年06月04日 月曜日

デジカメ画像の整理を始める。引越しをしてから押し入れの中に仕舞いっぱなしになっているプリンタもスキャナもそろそろきちんと出して、環境を整えないといけないと思い始めた。アップしなければいけない画像は沢山ある。あまり思い出さない様にもしていたのだけれど、実は昨年夏の高知の画像もアップしきれていない。夏が来る前にはアップしてしまわないと、と多少の焦りも感じ始めた。カウンタもいつの間にか9000を突破した。5桁になる前に積み残してあるものを片付けよう。・・・なんて、日誌に書くことで自分にプレッシャーを掛けてみる。

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2001年06月03日 日曜日

6月3日の朝日新聞朝刊に「15年目の報告」という記事が載った。1987年に起こった朝日新聞襲撃事件で犯行声明を出た「赤報隊」と相楽総三が率いた幕末の「赤報隊」との接点を探るというもの。事件の内容について詳しいことは僕には判らないけれど、「幕末」「赤報隊」という見出しの文字が単純に僕の眼を惹いた。「相楽総三と赤報隊の足取り」というタイトルで簡単な地図も掲載されているので、興味のある方は探してみて下さい。図書館などに行けば、見つかると思います。

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2001年06月02日 土曜日

前から興味はあったのだけれど、なかなか読む機会が無かった太宰治や芥川龍之介。昨日の話から何となく手を伸ばしてみたところ、思い掛けないものを見つけた。芥川龍之介の年譜の中に、大正七年一月「西郷隆盛」(新小説)とある。芥川龍之介が書いた「西郷隆盛」ってどんな小説なんだろう。芥川龍之介全集とか探せば収録されているのだろうか。芥川龍之介には歴史から題材を得ている作品が多い。「或日の大石内蔵助」なんていうのもある。何だかそんなところにばかり眼が行ってしまった。

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2001年06月01日 金曜日

前に住んでいた家の近所に、太宰治がかつて住んでいた借家があり、仕事部屋があり、彼のお墓があったことを知った。玉川上水で入水自殺したことは知っていたけれど、こんな身近に太宰治に関連のある《場所》があったとは意外だった。彼が住んでいた家には、いまも誰かが住んでいて、別段史跡の指定を受けている訳でもないし、仕事部屋も同様なのだけど、昭和を代表する作家の一人が住んでいたと思うとやはり感慨深い。史跡というのは、故人を身近に感じさせてくれる《場所》だと思っている。引っ越しする前に知っていれば一度くらいは足を運んだのにと思う。そう言えば、桜桃忌が近い。

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