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2000年08月

彼は彼なりにいろいろと感じたり、考えたりしながら生きている様です。

2000年08月31日 木曜日

古書店をぶらぶらと物色していて、星亮一の「京都守護職−会津藩の光と陰」「王城の守護職」というのを見つけた。「王城の守護職」ねー。「王城の護衛者」のパクリじゃん、とか思いながらゲット。この頃、小説ばっかりだなー、と少し反省。神田とか、高田馬場とか、古書店街からは久しく遠のいてしまっている。図書館にも行ってない。ゆっくり本を漁る時間も欲しいなー。あ、近所の古書店に綱淵謙錠の「戊辰落日」を見つけました。欲しい方がいらしたらメール下さい。

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2000年08月30日 水曜日

昨日は「陽だまりの樹」の日だった。すっかり、忘れていた。ここ何週間か、完全に見逃している。原作のほうも放り投げたままだし、飽きっぽい性格が完全に災いしている。アニメのほうは随分続いている様だけど、何話構成になっているのだろう。幕末に全然興味のない人でも、あの深夜にやってる奴でしょう、という具合で結構知ってる人が多い。深夜に放送している番組にしては視聴率いいほうなんじゃないのかな。来週こそは、見逃さない様にしないと。いや、来週こそは・・・。

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2000年08月29日 火曜日

さ、気を取り直して。(笑)1866年のこの日(慶応2年7月20日)、大坂城で徳川14代将軍家茂が亡くなった。在位期間8年は13代家定より長かったものの、亡くなったとき僅か21歳という若さだった。13歳で将軍になり、人生の半ば近くを幕末動乱の時代に奉げた格好となる。極度のストレスから家茂の晩年は病床にあることが多かった。彼は彼なりに必死に幕府を支えようと苦しんでいたのではないだろうか。毒殺説もあるが、その最期が毒殺では、あまりにも悲し過ぎる。

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2000年08月28日 月曜日

いやあ、ご心配をお掛けしました。何とか復帰しました。夏バテ気味のところに風邪をひいたというのはあるんですが、寝込んでみて改めて基礎体力の無さを痛感しました。スポーツをしている訳じゃなし、身体を動かす機会が減っているというのが最大の原因なんでしょうね。一駅くらい歩こうかなあ、なんてことをちょっとだけ思いました。なかなか続かないんですけどねー。

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2000年08月27日 日曜日

夏風邪のため、ダウン。

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2000年08月26日 土曜日

夏風邪のため、ダウン。

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2000年08月25日 金曜日

夏風邪のため、ダウン。

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2000年08月24日 木曜日

微熱が続いている。やはり、これは長期戦になりそう。このまま、病気のことを書いていると優希のあぢとにアップしている日記と被ってしまいそうなので、こちらの日記は少し休みたいと思います。復帰は明日になるか、少し先になるか判りませんが、どうかご容赦下さい。メールと掲示板は出来るだけチェックする様にします。ご迷惑をお掛けしますが、宜しくお願いします。

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2000年08月23日 水曜日

夏風邪のため、ダウン。

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2000年08月22日 火曜日

熱は下がったものの、相変わらず喉や頭が痛い。少しでも気を抜けば、一気にぶり返しそうな感じ。コレステロールや中性脂肪が普通の人より少なくて病気に対する抵抗力がないと医者から言われている位だから、こうなると長いのだ。毎年、気を付けてはいるのだけれど、今年は少し暴飲暴食不摂生が祟ったかなあ。まあ、今頃反省してみても仕方がないんだけどねー。

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2000年08月21日 月曜日

久し振りに凄い熱出しました。そのくせ、身体は異様に寒くて、まだ8月だというのに毛布引っ張り出してみたりして。2日寝込んで熱は下がってきたんですが、まだ身体に力入らないです。夏バテ気味で体力が落ちてたから余計なんでしょうけど、夏風邪にはくれぐれも気を付けて下さいね、皆さん。油断してると突然来ますよ、突然。外から帰ったら先ずうがい・・・これが基本です。(笑)

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2000年08月20日 日曜日

夏風邪のため、ダウン。

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2000年08月19日 土曜日

夏風邪のため、ダウン。

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2000年08月18日 金曜日

夏風邪のため、ダウン。

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2000年08月17日 木曜日

インターネット上で古写真を公開しているところがある。僕が良く行くのは長崎大学付属図書館の古写真オンラインデータベース。ここでは豊富な古写真を簡単に見ることが出来る。昨日、話に触れた写真はこのサイトには無かったが、日光や箱根など見ているだけでも結構楽しい。史跡などは周りの風景が変わっていたり、史跡自体が変化していたりもする。髷を結った人が史跡の前に写っていたりするとタイムスリップした様な気にもなる。幕末を身近に感じられる瞬間。

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2000年08月16日 水曜日

徳川幕府の威厳というものについて考えた。幕末の頃、江戸城には既に天守閣はなく、古写真を見てもかなり痛みが激しい。江戸時代初期であれば、諸藩に対する号令一つで城の修復工事など簡単に出来たものだが、古写真からはそれが適わなくなって来ていたことが伺い知れる。諸藩も決して余裕があった訳はなく、反発も激しかったのだろうが、それを押し切れないほどに幕府の威厳は低下していたと考えられる。やはり、支えきれない所まで来ていたということなのかなあ。

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2000年08月15日 火曜日

京都のことをつらつらと思い浮かべているうちに八ツ橋が食べたいなと思いあたった。この八ツ橋、いつ頃からあるのだろうと思い、調べてみると箏曲八橋流を興した八橋検校という人に辿り着いた。この人が米びつに残った米に密と桂皮末を加え、堅焼煎餅を作ることを伝えたのが始まりなのだとか。これが江戸初期のお話。この人が亡くなって埋葬されたお寺を通称八ツ橋寺というそうで、それが何と金戒光明寺であると判明。容保公も食べたのかなー。

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2000年08月14日 月曜日

慶応3年12月に益満休之助、伊牟田尚平らが江戸城二の丸に放火した事件をボーッと考えていて思うのは、戦国時代に活躍した忍者の存在。彼らは徳川の治世下においてすっかり牙を抜かれてしまったのだろうか。幕末の動乱における忍者の活躍というのは聞いたことがない。もし、彼らが連綿と技を磨き、太平の世に慣れることがなければ、幕末に名を残した流派や人物が出たかも知れないのにと思う。あるいは知られていないだけなのだろうか。僕はボーッと考える。

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2000年08月13日 日曜日

今日は僕の大好きな洪庵先生の190回目の誕生日。1810年のこの日(文化7年7月14日)、洪庵先生は備中足守藩佐伯惟因の三男として生まれた。大阪に現存する適塾では、生誕190年祭とかやったのだろうか。大阪で生まれた訳ではないからやらないのかな。洪庵先生のページも起こしたいと思いつつ、まだ何も手付かずのまま。大好きな適塾にも、もう3、4年行ってない。どんどん洪庵先生から離れて行く様な気がする。もっと、洪庵先生の様に前向きに生きないと。

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2000年08月12日 土曜日

大洗海岸に海水浴がてら幕末と明治の博物館を見てこようと思っていたが、海水浴が中止になってしまったので、少し早めに実家に帰ることにした。久し振りに蒲生君平の碑を見に行って見る。蒲生君平は寛政の3奇人(林子平、高山彦九郎)の1人。天皇陵の調査を行い、前方後円墳という言葉を編み出した人。(笑)この人の影響もあって、宇都宮藩は天皇陵の整備を行い、勤王藩として幕末を生きていくこととなった。次は蒲生神社にも足をのばして見ようっと。

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2000年08月11日 金曜日

1833年のこの日(天保4年6月26日)、萩藩医和田昌景邸で男の子が産声をあげた。彼は6歳のとき、桂九郎兵衛の養子となり、桂小五郎と称する様になる。生まれながらの俊才は、やがて藩の要職に着き、国事に奔走する様になった。剣林弾雨の中を生き抜き、明治を迎えた彼は総裁局顧問、参議、文部卿を歴任、維新の三傑と呼ばれる様になる。日本史における一大サクセスストーリーの一つだと思うのだけど、龍馬や晋作の影に隠れて、今一つ影が薄い。(泣)

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2000年08月10日 木曜日

電車に乗っていて、ふと神社の狛犬が眼に飛び込んで来た。こんなところに神社があったのかあ。いつも通勤で使っている電車、いつも見ているはずの風景なのに何か新鮮な感じがした。お寺や神社というのは一番身近に歴史を感じることが出来る場所だと思う。どんな小さなお寺や神社だって、大抵100年位の歴史は持っている。130年を越えれば、幕末に繋がる。あるいは土方歳三や坂本龍馬が手をあわせたかも知れない。そんなことを思いながら電車を下りた。

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2000年08月09日 水曜日

月曜日に飲みに行ってから体調が悪い。ずっと、2日酔いだと思っていたら、どうやら風邪をひいたらしい。暑いはずなのに寒気がする。お腹の調子も悪い。今日はとっとと寝てしまおう。(泣)

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2000年08月08日 火曜日

レタッチソフトを使って、先日アップした京都の画像を幾つか修整してみた。レタッチソフトの使用方法を解説しているホームページを覗いてみたりする。なるほど、そんな手もあったのか。頭で納得してみても、実際に修整するのは楽ではない。まあ、スタートラインに立ったばかり、焦らずに行きましょう。(笑)次は家光廟を見に出掛けた日光の写真をアップする予定です。

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2000年08月07日 月曜日

家のマシンで画像を処理し、アップしたのを会社から覗いてみると凄い暗い感じになっていたりすることがある。マシン環境が違うというのもあるが、レタッチソフトの使い方とか、デジカメの使い方に問題がある様な気がする。どちらにしても僕はもっと真剣にツールの使い方を勉強しないといけないのだと思う。史跡の持っている色や雰囲気を正しく伝えられる様になりたい。

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2000年08月06日 日曜日

7月に出掛けた京都の写真をアップしました。これは高知の前哨戦として、フェリーを待つ間の数時間、京都を歩いてまわったときのもの。炎天下、しかも盆地ということで死ぬ思いでした。かと思ったら、三条会所跡に向かう途中で凄い土砂降りにあって、30分程足止めされたり。天候によって写真の良し悪しが左右されてしまうのは素人の痛いところですね。写真巧くなりたいです。池田屋、土佐四天王像については写真の差し替えを行いました。次は冬の京都に行きたいなあ。

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2000年08月05日 土曜日

シーボルトの娘、楠本イネを題材としたNHKのドラマ「おいね」を観た。イネを宮沢りえが演じ、二宮敬作に西村雅彦、石井宗謙に奥田瑛二という配役に期待していたが、石井宗謙の子供を産んだところまでしか触れられておらず、話の中身も中途半端で肩透かしを食らった様。1時間という短い時間の中に人の一生を詰め込むことが無理といえば、無理なのかも知れないが、もう少し描き方というのがあったのではないかと思う。宮沢りえの熱演が光っただけに残念だった。

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2000年08月03日 木曜日

1793年のこの日(寛政5年6月27日)、蒲生君平、林子平と並び寛政の3奇人と称された高山彦九郎が幕府の追及を受け、自害した。高山彦九郎は幕末の志士達に多大な影響を与えた勤王家で、荒廃した京都御所を見て落涙したと伝えられ、その姿は京都の三条大橋に現在も銅像として残されている。中岡慎太郎なども彼を偲び、群馬にある墓を訪れたとのこと。

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2000年08月02日 水曜日

幕末以前の人達の音楽に対する感覚というものはどんなだったんだろう、とふと考えた。曲名が判ってもフレーズが出てこなかったりということがある。しかし、レコードやCDが無かった時代、音楽はほとんどが口伝であったろうし、リズムも身体に刻むしかなかったのではないか。ということは迂闊に忘れたり出来ない訳で、音楽に対する姿勢というのは真剣かつ貪欲だったのではないかと思うのだ。わらべ唄ひとつを取ってもそうして受け継がれて来たのかと思うと感慨深い。

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2000年08月01日 火曜日

パソコンの調子が悪い。突然、フロッピィディスクを認識しなくなった。エアコンの無い部屋に1日中置きっぱなしなのでヘソでも曲げたかなあ。そんなこんなに追われて史跡の写真の整理が進まない。あとは写真を整理して加工してアップするだけなのにぃ。イライライラ・・・。まあ、イライラしてもしょうがないんだけど。人間だって暑いんだもん、パソコンだってねー。

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