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下田湾 静岡県下田市
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下田湾
ペリー艦隊が最初に浦賀に現れてから1年後の安政元年、幕府はアメリカとの間に日米和親条約を締結し、箱館と下田の2港を開くことを約束した。吉田松陰はペリー艦隊がここ下田に停泊していることを知り、ここから黒船に乗ってアメリカに渡ることを決意する。
吉田松陰と金子重輔の像 静岡県下田市柿崎
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吉田松陰と金子重輔の像
弁天島の広場内にある吉田松陰と金子重輔の像。金子重輔は吉田松陰の最初の弟子で共に碇泊中の黒船に乗り込もうとした。左側が吉田松陰、右側が金子重輔。
彼らは苦労の末に黒船まで辿り着くが、海外を探訪するという彼らの望みが叶えられることはなかった。
弁天社 静岡県下田市柿崎
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吉田松陰と金子重輔が一時隠れていたといわれる弁天社。裏手には吉田松陰と金子重輔の碑が建っている。ここから見える黒船の姿に2人は胸をたかぶらせたに違いない。

弁天社

弁天社の裏手に建つ碑
吉田松陰像 静岡県下田市柿崎
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吉田松陰像
県道116号線沿いにある吉田松陰像。弁天島にある金子重輔との像と違い、日本刀を手の下に置き、猛々しい印象を受ける。
三島神社の境内に建つ。
吉田松陰拘禁之跡 静岡県下田市4丁目
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吉田松陰拘禁之跡
宝光院長命寺の跡地で、下田奉行所の命により、吉田松陰と金子重輔が拘禁されていたところ。2人が押し込められていたのは大変狭いところで正座の状態で膝が重なるほどだったといい、横になって寝ることも叶わなかったという。現在、長命寺は廃寺となり、同地には下田市立中央公民館と下田市教育委員会館が建つ。
ペリー艦隊上陸記念碑 静岡県下田市3丁目
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ペリー艦隊上陸記念碑
日米和親条約の締結に伴い、即時開港となった下田にペリーが初めて上陸したところ。旗艦ポーハタンをはじめ、7隻の軍艦が入港した。ペリーの胸像前にある錨は、アメリカ海軍より記念に贈られたもの。
玉泉寺 静岡県下田市柿崎
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曹洞宗のお寺。日米和親条約締結から2ヶ月後の下田条約締結に伴い、アメリカ人の休息所および埋葬所に指定された。2年後の安政3年にはタウンゼント・ハリスが着任し、最初のアメリカ総領事館を開設。以来、東京都港区の善福寺に移されるまで約3年の間、アメリカと日本の交渉の窓口となった。境内には、遺品などを展示したハリス記念館の他、米人や露人水兵の墓などがある。
ホームページ 玉泉寺

ハリス記念碑

牛乳の碑

玉泉寺

米人水兵の墓

屠牛木
稲田寺 静岡県下田市1丁目
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浄土宗のお寺。ロシア使節プチャーチンとの交渉にあたった応接掛川路聖謨や下田奉行伊沢美作守が宿舎として使用した稲田寺は、安政の東海地震・津波の際には仮奉行所としても使用された。境内には安政の東海地震・津波で犠牲となった人々を供養する津なみ塚や唐人お吉の夫となった川井又五郎(鶴松)の墓がある。

稲田寺

川井又五郎の墓

津なみ塚
宝福寺 静岡県下田市1丁目
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浄土真宗のお寺。日米和親条約締結後、新たに設置された下田奉行都筑駿河守が宿舎としたお寺で仮奉行所が置かれた。文久3年(1863年)には、大鵬丸で下田に入港した土佐藩主山内容堂の宿舎となり、同じくたまたま順動丸で入港した勝海舟が訪れ、坂本龍馬の脱藩の罪に対する許しを請うというシーンもあったとか。境内には唐人お吉の墓とお吉記念館があり、お吉の菩提寺として知られる。

宝福寺

お吉の墓
了仙寺 静岡県下田市3丁目
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了仙寺
日蓮宗のお寺。安政元年(1854年)の日米和親条約締結に伴い、上陸したペリー一行の応接所となった。同年5月には日米和親条約付録下田条約の調印式の舞台となり、玉泉寺と並んで休息所に指定された。境内に設けられた宝物館にはお吉ゆかりの品などが展示されている。
ホームページ 了仙寺
豆州下田郷土資料館 静岡県下田市4丁目
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豆州下田郷土資料館
ペリーの率いる黒船が来航し、日本最初の開港場となった下田の歴史を貴重な遺品や資料などと共に紹介する資料館。
下田公園 静岡県下田市3丁目
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ペリー艦隊上陸記念碑の近くにある公園。ペリーとハリスのレリーフが刻まれた開国記念碑や下田出身で上野彦馬と並び日本写真術の開祖と呼ばれる下岡蓮杖の碑などがある。

開国記念碑

下岡蓮杖の銅像

下田公園からの眺望
安直楼 静岡県下田市3丁目
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安直楼
お吉が晩年に開いた小料理店のあと。下田奉行所支配頭取であった伊差新次郎に説得され、ハリスの侍妾となったお吉だったが、ハリスから暇を出されると唐人と嘲笑され、横浜や三島を転々とした。その間、横浜で再会した幼馴染の鶴松と結婚するが、離婚。明治15年、下田に戻り、「安直に飲めるように…」という意味を込めて安直楼を開店したが、深酒がたたり破産すると、明治23年、稲生沢川渕に身を投げ、自ら48年の生涯を閉じた。安直楼は、のちに「すし兼」という寿司屋となったが、いまは寿司屋を閉じ、お吉ゆかりの品などを公開している。
長楽寺 静岡県下田市3丁目
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長楽寺
真言宗のお寺。安政元年(1854年)12月、日本全権筒井政憲・川路聖謨とロシア使節プチャーチンの間で交渉が重ねられ、日露和親条約が締結されたところ。また、安政2年(1855年)1月には前年に結ばれた日米和親条約の批准書の交換が行われた。
吉田松陰寓寄処 静岡県下田市蓮台寺
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吉田松陰寓寄処
吉田松陰と金子重輔が踏海の決行直前まで身を寄せていたところ。疥癬という皮膚病を患っていた吉田松陰が、治療のため訪れた蓮台寺の共同湯で夜を明かそうとしていたのを村山行馬郎という医師が見つけ、宿を提供したのが吉田松陰寓寄処(旧村山邸)。密航の企てがあることを打ち明けられた村山行馬郎は、踏海の決行直前まで2階の隠し部屋に松陰らを匿ったという。