インフォメーション
2001年09月

彼は彼なりにいろいろと感じたり、考えたりしながら生きている様です。

2001年09月29日 土曜日

少し空いた時間を利用して埼玉県の吉見百穴に出掛ける。石窟の様に斜面に掘られた無数の穴。古代の人々の墓の跡らしい。明治初年頃の調査ではコロポックルとか、土蜘蛛人の住居跡だと信じられていたとか。そんな時代もあったのかと微笑ましい気持ちになったのも束の間、落書きの悪戯が散見されてがっかりした。日本人てどうしてこうもモラルに欠けているのだろうと悲しくなる。悪戯するくらいなら、お願いだから行かないで欲しい。これは幕末の史跡に対しても同じ。

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2001年09月28日 金曜日

過去を透かすことの出来る眼鏡・・・なんてのを想像してみた。眼鏡の柄の部分に西暦を設定するカウンタがあって、そのカウンタを見たい年代にあわせて眼鏡を掛けるとその時代の風景を見ることが出来る。例えば、新宿という宿場町の10年前の姿、50年前の姿、100年前の姿を簡単に知ることが出来る。タイムマシンと違い、透かして見るだけならば、歴史が変わってしまうこともない。かなり安全なアイテムだと思われる。但し、それを掛けたまま歩くことはお奨め出来ない。

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2001年09月24日 月曜日

祝日。昨日のセミドライブが楽しくて、今日は甲府方面に遠出をしようかと思ったけれど、明日からの仕事のことを考えて家でごろごろしてることにした。このところ、ずっと帰りの遅い日が続いている。行きたい気持ちも山々だったのだけれど、自重することも大切なのだ。僕は相変わらず、子母沢寛の「新選組始末記」をゆっくりと読み返している。久し振りに読み返す「新選組始末記」には沢山の小さな発見が詰まっていて面白い。また新選組の史跡を歩きたくなってきた。

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2001年09月23日 日曜日

折角の天気。もったいないと思い、午後から車で埼玉県の行田市に出掛けた。目的は忍城。忍城から埼玉の名前の由来となったさきたま古墳群に足をのばして帰る。帰りに正勝寺という寺に真田信之の妻小松姫の墓があると知って向かうが、2つある正勝寺のうちの間違ったほうに行ってしまい、日没のために時間切れ。これはリベンジしないと。

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2001年09月20日 木曜日

プレイステーション版「維新の嵐」の話。元治元年7月22日まで進んだ。僕のプレイする土方歳三は、何故か中村半次郎、伊知地正治、島津久光から100の信頼を受けて薩摩藩邸に出入り自由な状態になっている。佐幕開国で説得しまくり、容保公はもちろん、松平春嶽からも100の信頼を受け、いつでもアポナシで会えてしまうという論客なのだ。しかも時間があれば大阪まで出掛けていき、適塾で蘭学に打ち込むという勤勉さ。このままの調子でエンディングまで行けるのか、少しだけ心配。(笑)

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2001年09月19日 水曜日

新宿の職安通りと小滝橋通りの交差点付近で、「皆中神社鉄砲組百人衆」というのぼりを見掛けた。皆中神社のお祭りでもあるのかと思いながら、雨の交差点を渡る。JR大久保駅とJR新大久保駅との間に挟まれた百人町一帯は、江戸時代鉄砲組百人隊の本拠となっていたところ。鉄砲組だから「皆中る神社」なのかと後になってから気が付いた。台風が来てるんだよなー。直撃でなければいいんだけど。

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2001年09月17日 月曜日

昼休みに急に古書店に行きたくなって、少し離れたところまで足をのばす。東洋文庫の「長崎海軍伝習所の日々」を見つけ、それを手に店内を物色していると、かごの中に無造作に入れられた「沖田総司・土方歳三の手紙」を発見。これは沖田総司の手紙4葉と土方歳三の手紙1葉の複製、解説書が入った異色本。少し迷ったけれど、これも縁かと買って帰る。読むというより、かなりコレクターズアイテムっぽい。

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2001年09月16日 日曜日

昨日の続き。新しい土方歳三で「維新の嵐」をプレイする。江戸にいる間に高島秋帆の塾に入れて砲術を学ばせ、兵学というパラメーターを鍛えておく。上洛前には思想を佐幕開国にし、周りを説得しまくった。いま現在、文久3年の12月の段階で何故か中村半次郎や伊地知正治に信頼されまくり、薩摩藩邸に出入り自由な状態となっている。これもこれでどうかと思うけれど、果たしてこの先、どうなってしまうだろう。

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2001年09月15日 土曜日

思い出した様にプレイステーション版の「維新の嵐」を始めた。坂本龍馬と土方歳三、オリジナルキャラの中から土方歳三を主人公に選ぶ。毛色の違う土方歳三にしようと開始早々に大阪に行かせ、適塾に入れてみた。いい感じに「ありそうのない土方歳三」に育っていたのだけれど、浪士組の京都上洛を前に勝海舟に論破され、あっけなく尊王にされてしまってゲームオーバー。やっぱり、土方歳三は土方歳三らしく育てようと誓う。

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2001年09月11日 火曜日

アメリカの世界貿易センタービルにハイジャックされた2機の旅客機が激突し、崩落するという事件が起こった。初めて映像で見たとき、映画の1シーンだと思った。それほど、荒唐無稽で非現実的な出来事だった。しかし、それが映画ではなく、ニュースだと知ったとき、世界史の凄い事件に立ち会ってしまったと感じた。これから世界は戦争に向かってしまうのだろうか。

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2001年09月10日 月曜日

仕事帰りの電車の中での話。隣に座った男の人がノートパソコンを取り出し、電源を入れた。仕事でもするのかな、と思っていたら何かの拍子にちらっと画面が見えた。どうやら信長の野望だとか、そういった戦国モノのゲームをやっていたらしい。さすがにノートパソコンを持ち込む気にはならないけれど、ゲームボーイか、ワンダースワン辺りで幕末モノのゲームでもあれば、やってもいいかなと思う。そんなゲームないかなー。

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2001年09月07日 金曜日

ここのところ少し話題になっているホテルニューオオタニ。このホテルニューオオタニの北側に面しているのが紀尾井坂。大久保利通が暗殺されたところ。この辺りには坂の名前の由来となった紀州藩、尾張藩、彦根(井伊家)藩の藩邸跡が残る。この紀尾井坂を下って紀尾井町通りを少し行くと左側に清水谷公園があり、ここに大久保利通の巨大な碑が建つ。この辺りの写真も徐々にアップしたいと思ってます。

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2001年09月05日 水曜日

仕事で九段下に行った。少し早めにミーティングが終わったので、散歩がてら靖国神社の境内を歩いてから帰る。大村益次郎の銅像を見上げ、練兵館跡の前で立ち止まった。ホントは遊就館とか見て行きたかったのだけど、さすがに勤務時間内ということもあり、そこまでは気がひけて靖国神社を後にした。デジカメを持って行けば良かった。

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2001年09月04日 火曜日

毎日通っている新宿から神田までの区間。この沿線に順天堂大学があることを今朝まで知らなかった。新宿から東京方面に向かって左側。ちょうど水道橋の東京ドームを過ぎた辺りに順天堂大学があるのを見つけた。順天堂大学は佐藤泰然の養子となった佐藤尚中こと山口舜海が建てたもの。そのうち、順天堂大学にも足を運んでみようと思っている。何か碑とか、銅像とかありそうだし。

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2001年09月03日 月曜日

江戸東京博物館で「ポンペイ展」を開催している。そのポスターを駅の構内で見掛けたとき、一瞬「ポンペ展」だと思った。「胡蝶の夢」でちょうど松本良順がポンペに西洋医学を学んでいるところだったので、これは行かなければと思った。直ぐに気がついて少しがっかりしたのだけれど、「ポンペ展」行ってみたかったなー。しかし、何故江戸東京博物館で「ポンペイ展」なのだろ。素朴な疑問。

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2001年09月02日 日曜日

司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を読み始めたということもあって、前から行きたいと思っていた千葉県佐倉市に出掛けた。佐倉は幕末の老中堀田正睦11万石の城下町。佐藤泰然が招かれて私塾兼病院である順天堂を興したところ。佐倉順天堂記念館は残念ながら改修工事中ということで見れなかったけれど、隣には今も順天堂医院というのがあり、開業しているのを知って嬉しくなってしまった。ふと見ると表札には佐藤と書いてある。先々代の市長は堀田正睦の曾孫にあたる方だと聞いた。佐倉には連綿と受け継がれている歴史の重みを感じた。

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