インフォメーション
2001年03月

彼は彼なりにいろいろと感じたり、考えたりしながら生きている様です。

2001年03月31日 土曜日

唐人お吉のことを考えていて、ふと、手塚治虫の「陽だまりの樹」を思い出した。「陽だまりの樹」の中で伊武谷万二郎という府中藩士が幕府の命に従い、ハリスの警護役として玉泉寺に出入りするというシーンがある。僕が持っている小学館文庫では、3巻の最初の項が「唐人お吉」、次の項が「韮山紀行」ということになっていて、今回訪れた玉泉寺や韮山反射炉などが描かれていて楽しい。ここにはハリスやヒュースケン、お吉、橋本左内らが登場する。「陽だまりの樹」を見て玉泉寺や反射炉のことを知り、下田や韮山に足を運ぶ人もきっと大勢いるんだろうなあ。

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2001年03月30日 金曜日

昨日のサーバー側のものと思われるトラブル。プロバイダのトラブル情報のページを覗いてみたけれど、何もコメントされてはいなかった。夢ではない限り、絶対に何らかのトラブルが発生してたと思うんだけど、もしかしてプロバイダ側でも把握していない類のトラブルなんだろうか。この前、容量をチェックしたときにはまだまだいけそうな雰囲気だったんだけど、新しいプロバイダを模索しておいた方がいいのかな。僕の気が付かないところで、トラブルが発生していて、ページが見れない状態になってたりしても困る。安心出来るプロバイダってどこだろう。

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2001年03月29日 木曜日

昨日、伊豆の写真をアップした。下田、韮山を中心に19件。ファイルの転送が終わって、正常終了と表示されたので回線を切った・・・はずなのだけど、会社のPCから覗いてみたら、トップページだけ更新されていて他のページが更新されていない。久し振りに焦った。ファイルの読み直しをしても、やはり更新されていない。会社からは更新出来ないので、いろいろなことを考えながらもどうすることも出来ない。帰宅してからアップし直すしかないのだ。30分後、どうしても気になって再度覗いてみた。すると、今度はちゃんとアップされている、ちゃんと最新の状態になっている。まあた、何かサーバー側でトラブルでもあったかな。どの位の時間、古い状態のままになっていたのか判らないけれど、ちょっとしたホラー映画よりスリルのある話ではあった。

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2001年03月27日 火曜日

この日は唐人お吉こと斎藤キチの110回目の命日。1890年(明治23年)のこの日、お吉は稲生沢川淵に身を投げ、48年の波乱に満ちた生涯を閉じた。先々週の日曜日に下田に行き、菩提寺である宝福寺だとか、お吉が開いた小料理屋安直楼だとか、ハリスの宿所となった玉泉寺などを歩いて来た。この日が命日であることを僕は下田で知った。110回目の命日であることはこれを書きながら気付いた。本当ならば今日、下田の写真をアップする予定だったのだ。単なる偶然なのかも知れないけれど、奇妙な縁を感じてしまう。

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2001年03月26日 月曜日

133年前(1868年)のこの日(明治元年3月3日)、明治新政府は赤報隊相楽総三以下8名を偽官軍として斬首した。相楽総三の孫にあたる木村亀太郎が有志によって建てられた諏訪の魁塚を訪れたのは、1912年(明治45年)のことだったという。魁塚を訪れた亀太郎は生涯をかけて祖父相楽総三こと小島四郎の無実の罪を晴らそうと決意。仕事の傍ら苦労を重ね、努力が実を結んだのは1928年(昭和3年)のこと。昭和天皇即位に伴う御大典により相楽総三に正五位が贈られ復権するまで、相楽総三の死より実に60年という月日が流れたことになる。

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2001年03月25日 日曜日

先週出掛けた伊豆の写真。デジカメからパソコンに落として見たら、逆光だったものがことごとくダメになっていた。光が射してしまって使用出来そうにない。撮影時に手で光が入らない様、気をつけたつもりだったけれど、ファインダーからのぞいた画像とレンズが捉えている画像の間に差があることを忘れていた。パララックスというらしいのだけど、これは液晶モニターで確認することで回避出来るとのこと。次は忘れない様にしないと。

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2001年03月24日 土曜日

1860年のこの日(万延元年3月3日)、大老井伊直弼が暗殺された。世にいう桜田門外の変。東京でも桜の開花宣言が出るこの時期に雪が降ったというのだから、その時代に生きていた人達でなくても何かしら運命的なものを感じてしまう。しんしんと降り頻る雪の中、一発の銃声を合図に関鉄之助の指揮する水戸藩士達が井伊直弼の駕籠を襲撃。彼らが井伊直弼の首級をあげたとき、列の最後尾はまだ井伊邸を出ていなかったという。

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2001年03月23日 金曜日

奈良本辰也氏が亡くなった。奈良本さんは山口県出身の元立命館大学教授で、吉田松陰を中心に幕末に関する多くの本を残された人。僕の本棚にも何冊か奈良本さんの本が並んでいるし、少し前までは奈良本さんが監修された人名辞典を愛用していた。奈良本さんは僕が幕末に転んだ頃からずっと司馬遼太郎氏と共に好きだった人なので、この訃報はとても寂しい。5年前に司馬さんが亡くなって、奈良本さんが亡くなった。87歳では無理ないのかも知れないけれど、もっと沢山幕末本を書いて欲しかった。心からご冥福をお祈り致します。

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2001年03月22日 木曜日

1885年(明治18年)のこの日、元駐日英国公使パークスが亡くなった。オールコックの後任として日本を訪れたパークスはアヘン戦争で活躍した人物で高圧的な外交からパークス外交と呼ばれたりした。ところで、パークスというと僕の中では何故か暗殺されたというイメージがあっていつも混乱するのだけれど、京都で襲撃はされているものの中井弘三や後藤象二郎の活躍によって生還している。一体、誰と勘違いしてるんだろう。しかし、東禅寺事件のオールコックといい、駐日英国公使って目の敵にされてた感じしますねー。

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2001年03月21日 水曜日

水曜日の「笑っていいとも!」の1コーナーに「ご先祖さまはスゴイ人!」というのがあって、これまでにも織田信長だとか、武田信玄だとか、あるいはザビエルだとかいろいろな歴史上の有名人の子孫の人達が登場したみたいなのだけど、偶々休みをとって家にいたので見ていたら、宮川さんという人が出て来た。叔父と甥の関係だという2人の男性。系図が出てきて、本人の兄の系統の子孫であるということが判った。ヒントが出されるまでもなく、近藤勇の子孫のかただということが判った。甥だという男性の顔が近藤勇にソックリなのに笑ってしまう。頬骨のはりかたといい、拳骨が入ってしまいそうな大きな口といい、遺伝子って偉大だなと思った。

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2001年03月19日 月曜日

朝風呂に入ってから朝食。チェックアウトをしてから宿の周辺を散策。この辺りには北条氏関連の史跡が多い。執権北条泰時夫妻の墓などを見てから韮山に移動。この旅のメインのひとつ、韮山の反射炉などを見てまわった。韮山代官江川太郎左衛門の邸や菩提寺である本立寺の辺りは本当に居心地が良く、大切にされているというのが感じられる。こういう街なら住んでみたい。韮山から修善寺を通って西伊豆の戸田村を目指す。戸田村はディアナ号の代船ヘダ号が建造されたところ。あとから、電車が通っていない街であると知って驚いた。帰りに修善寺で車を止め、源頼家の墓などを見た。たった2日間だったけれど、大きな収穫に満足。

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2001年03月18日 日曜日

朝の6時に家を出て、伊豆を目指す。伊豆長岡の温泉が目的だったのだけれど、折角伊豆に行くのだからと少し欲張って下田まで足をのばすことにした。幾つかのお寺をまわり、国道沿いのファミレスで食事を済ませてから蓮台寺温泉へと向かう。蓮台寺は思った以上に情緒のある街だった。家を出たときには降っていた雨も下田に着く頃には止んで、車のエアコンを入れたくなる程、いい天気に恵まれた。この日の宿は武者小路実篤が愛用したという宿。部屋や宿のあちこちに実篤の額が飾られており、実篤愛用の宿であったというのは判るのだけど、きっと実篤が愛用した頃の建物ではないんだろうなあ、と思われるホテル風の建物が残念だった。

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2001年03月15日 木曜日

来週の「その時歴史が動いた」は、もしもその時・・・シリーズだそうで、本能寺の変がなかったら・・・、関ヶ原の戦いで西軍が勝っていたら・・・、そして薩長同盟が成立していなかったら・・・の3つにスポットをあてる様です。ifモノによくありがちなテーマばかりの様な気がするけれど、NHKも視聴率あげるのに大変なんでしょうね。ちなみに次の回では、「女性たちは決断した」というタイトルで北条政子、秀吉の妻おね、皇女和宮にスポットをあてるとのこと。前にも書いたことがあるけれど、やはり「その時歴史が動いた」は戦国と幕末に関する話題が多い様な気がする。誰の趣味なんだろう。

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2001年03月14日 水曜日

優希のあぢとから幕末関連史跡補完計画が独立してちょうど1年。アクセス数も7500に達し、このサイトを通じて多くの方と知りあうことが出来ました。この1年、足を運んで下さった皆さん、本当にありがとう御座いました。引越しの関係で2月、3月は思う様に更新出来ませんでしたが、また1年、地道に史跡の数を増やして行きたいと思っています。まだまだ試行錯誤の部分が多く、御迷惑をお掛けすることもあるかと思いますが、長い眼でお付き合い頂ければ幸いです。どうか、今後共、幕末関連史跡補完計画を宜しくお願い致します。

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2001年03月13日 火曜日

無事にパソコン復活。前の家で使っていたアクセスポイントに接続し、アクセスポイントを調べて設定し直す。11時過ぎの一番混み合う時間にこれだけ快適につながれば問題はなさそう。この頃はNiftyもアクセスポイント毎の混雑状況をネット上から見ることが出来る様になったし、アクセスポイントも増えて以前ほど酷い状態ではなくなった。こうなってみると、レスを1個付けるのに回線がつながらなくてキリキリしていた時代が懐かしい。いま、ケーブルテレビか、ADSLにしようと思っていて、それが実現すると常時接続が可能になる。快適なネット時代が近づきつつある。

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2001年03月12日 月曜日

真田昌幸、幸村親子が関ヶ原の戦いの後、晩年を送った九度山。一度、行ってみたいと思って調べてみたら、和歌山県の思いっきり大阪寄りだった。いまは和歌山県九度山町というらしい。真田町と姉妹関係になっているとのこと。和歌山県、三重県のある紀伊半島もあまり縁が無くて、ゆっくり見てまわったことがない。ついでに・・・と思っていたけれど、九度山に限ってみれば、大阪に行ったついでに足をのばしたほうがいいのかな、とも思う。考えてみれば、ホントにぽっかりと穴が開いた様にあの辺りにはバイクでも車でも行ったことがない。あー、遠出したい。

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2001年03月08日 木曜日

ビルの窓から外を眺める。新宿のオフィス街を歩く人、人、人。どこに住んでいるのか、どこの出身なのかも判らないけれど、みな必ず四代か、五代遡れば、必死で幕末という時代を生き抜いたご先祖様がいる訳で、そのご先祖様はあるいは幕末の有名な人物であったかも知れないし、あるいは大きな事件に関わっていたかも知れない。遠くから流れてくる風聞に怯えたり、嘆いたり、喜んだりしていたかも知れないし、剣林弾雨の中をかいくぐって信じる何かのために闘っていたかも知れない。僕らは平和な日常にあって、そういうことを忘れがちであるけれど、日本の歴史は戦の歴史でもあった。その数々の戦を生き抜いて命をつないでくれた人達がいる。その上に僕達はぬくぬくとあまり苦労も知らずに立っている。昨日、伯母が亡くなった。人の死というものを考えながら、ふとそんなことを思った。

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2001年03月07日 水曜日

1866年のこの日(慶応2年1月21日)、薩摩藩邸において西郷隆盛と桂小五郎の間に薩長同盟が成立した。この薩長同盟成立の裏には坂本龍馬や中岡慎太郎らの活躍があったのだけれど、どうしても龍馬ばかりがクローズアップされてしまう。中岡慎太郎ファンでもある僕としては少し寂しい。ところで、この薩長同盟成立から遡ること29年前のこの日(天保8年2月1日)、伊予宇和島藩の藩士の子として金子種次郎こと、のちの児島惟謙が生まれた。奇しくも今夜の「その時歴史が動いた」の主人公は伊藤博文と児島惟謙。児島惟謙の生誕164周年となるこの日にわざわざ合わせたのだとしたら、NHKもニクイことをしてくれる・・・と思うのだけど、どうなのだろう。単なる偶然なのかなー。ちなみに大津事件当時の内閣は第1次松方内閣で、後藤象二郎逓相、山田顕義法相、陸奥宗光農相となってます。伊藤博文は貴族院議長です。みんな、偉くなっちゃってって感じですかねー。

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2001年03月06日 火曜日

引越し自体は終わったものの、家のマシンをインターネットに接続出来ず。一体、いつになったら更新出来るやら・・・と思いつつ、再開します。明日の「その時歴史が動いた」は、ロシア皇太子襲撃事件。伊藤博文と児島惟謙にスポットをあてるとのこと。来週月曜日の再放送までにビデオを接続出来るといいのだけど。ところでビデオといえば、この頃気になっているのが、パソコンのハードディスクにテレビ番組を録画するというもの。MPEG2という方式で録画をすることになるのだけれど、これを使えばハードディスクの容量が許す限り、無制限に録画予約が可能だし、テープの空きを気にする必要もない。しかも観たものから順にファイルを削除するだけだし、ビデオテープの収納スペースも要らない。壊れたままとなっているマシンを再生して、挑戦してみようかなあ。

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