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佐久間象山砲術塾跡 東京都江東区永代1丁目
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佐久間象山砲術塾跡
嘉永3年(1850年)、信州松代藩真田家の下屋敷に設けられた佐久間象山の砲術塾跡。翌嘉永4年(1851年)には江戸木挽町に住いを移すが、後に象山門下の二虎と呼ばれる吉田松陰(寅次郎)、小林虎三郎を始め、勝海舟、橋本左内、河井継之助らが象山塾の門を叩いた。
伊東甲子太郎道場跡 東京都江東区佐賀1丁目
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伊東甲子太郎道場跡
伊東甲子太郎の北辰一刀流道場跡。伊東甲子太郎は初め鈴木大蔵といい、水戸で神道無念流を修めた後、この地に道場のあった伊東精一郎の門に入門した。徐々に頭角を現し、師範代となると精一郎の死後、遺言により養子となって道場を継いだ。
霊巖寺 東京都江東区白河1丁目
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寛永元年(1624年)、雄誉霊巖上人の開山により霊巌島に建立された浄土宗の古刹。後に焼失し、万治2年(1659年)この地に移転した。奥州白河藩主で老中となり、寛政の改革を行った松平定信の墓がある。また、当寺は桑名藩松平家、高田藩榊原家などの菩提寺にもなっている。

霊巖寺

本堂

松平定信の墓
原田左之助終焉の地 東京都江東区森下3丁目
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原田左之助終焉の地
大目付を勤めた旗本神保山城守相徳の屋敷跡。永倉新八らと離別し、江戸を目指した原田左之助は、上野彰義隊の戦いに身を投じたとされ、負傷して運ばれた本所猿江町の神保山城守屋敷で明治元年(1868年)5月17日絶命したと言われる。