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油小路七条の変の地 京都府京都市下京区七条油小路
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慶応3年11月、伊東甲子太郎の遺体を引き取りに来た御陵衛士(高台寺党)と新選組が斬りあいになった場所。この事件で、藤堂平助ら3人が亡くなっている。事件直後、この辻の周りには切離された多くの指が転がっていたという。斬りあいの凄まじさを伝えるエピソードである。
光縁寺 京都府京都市下京区綾小路大宮西入ル四条大宮町
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山南敬助の墓
新選組の屯所であった前川邸に近く、山南敬助を始め、松原忠司ら新選組隊士の墓がある。お墓参りをするには供養料として100円が必要。本堂には住職が集めた新選組関連の書籍などが並び、自由に見学することが出来る。
天満屋跡 京都府京都市下京区油小路花屋町通下ル西側
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海援隊士の陸奥陽之助らが、紀州藩士三浦休太郎を天満屋に襲撃した事件のあったところ。
中村半次郎寓居跡 京都府京都市下京区四条小橋東詰南側
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中村半次郎寓居跡
中村半次郎(のちの桐野利秋)の寓居跡。何も残ってないため、大体の場所を憶測する以外にない。
不動堂屯所跡 京都府京都市下京区堀川木津屋橋西入ル七条下ル
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不動堂屯所跡
新選組が西本願寺の次に屯所としたところ。当時は小大名の藩邸並に立派な建物だったらしい。現在は安寧小学校となっている。
本光寺 京都府京都市下京区油小路木津屋橋上ル
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本光寺
伊東甲子太郎絶命の地。御陵衛士(高台寺党)として新選組と袂を分かった伊東甲子太郎を暗殺するため、新選組は伊東甲子太郎を近藤勇の妾宅に招き、酒に酔って帰るところを襲撃。伊東甲子太郎は応戦しつつも、この地まで来て門前にて息絶えたという。門内には伊東甲子太郎の供養墓がある。