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旧掛橋和泉邸 高知県高岡郡檮原町檮原
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旧掛橋和泉邸
神官掛橋和泉の旧邸。天井裏には姫隠しの間と呼ばれる部屋があり、近隣の同志達が集まっては国事を談じたと言われる。建物は初め隣接する地にあって老朽化が進んでいたが、近年檮原町の文化財に指定され、現在の吉村虎太郎庄屋屋敷跡に移築された。
吉村虎太郎庄屋屋敷跡 高知県高岡郡檮原町檮原
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吉村虎太郎庄屋屋敷跡
安政6年(1859年)より檮原村において番人大庄屋を勤めた吉村虎太郎の屋敷跡。天誅組の挙兵に際しては那須信吾、前田繁馬と行動を共にするなど、同村との縁も深い。現在跡地には旧掛橋和泉邸が移築、保存されている。
六志士の墓 高知県高岡郡檮原町檮原
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昭和10年(1935年)に建てられた旧檮原村ゆかりの志士6名(吉村虎太郎、那須俊平、那須信吾、前田繁馬、中平龍之助、掛橋和泉)の墓。脱藩が適わずに自決した掛橋和泉を除き、他の5名は皆戦塵の中で落命した。

六志士の墓

那須俊平の墓

那須信吾の墓
維新の門群像 高知県高岡郡檮原町檮原
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六志士(吉村虎太郎、那須俊平、那須信吾、前田繁馬、中平龍之助、掛橋和泉)に坂本龍馬と沢村惣之丞を加えた8名の銅像。正面左から前田繁馬、那須信吾、吉村虎太郎、中平龍之助、掛橋和泉、沢村惣之丞、坂本龍馬、那須俊平の順で並んでいる。

維新の門

前田繁馬、那須信吾
吉村虎太郎、中平龍之助

掛橋和泉

沢村惣之丞、坂本龍馬
那須俊平
前田繁馬邸跡 高知県高岡郡檮原町
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前田繁馬邸跡
檮原村松原の庄屋を勤めた前田繁馬邸跡。安政6年(1859年)に過失から庄屋の職を追われていた前田繁馬は、文久3年(1863年)親類に従う形で上洛する機会を得ると禁裏守護に任じられ、諸藩の志士と親交を重ねる。後に吉村虎太郎らと共に天誅組に参加するが、初瀬における津藩兵との戦いの中で戦死した。