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山崎ノ古戦場 神奈川県足柄下郡箱根町湯本
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明治元年(1868年)5月26日、山崎村に布陣した遊撃隊と同盟から一転恭順の姿勢を示した小田原藩が激戦を繰り広げた古戦場跡。小田原藩の後詰めには長州、鳥取、津、岡山の諸藩が新政府軍として派遣されており、激戦の末、遊撃隊は箱根関所方面への退却を余儀なくされた。

山崎ノ古戦場碑

三枚橋方面を望む
三枚橋 神奈川県足柄下郡箱根町湯本
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明治元年(1868年)5月26日、箱根山崎の戦いから箱根関所方面に退却する最中、遊撃隊士伊庭八郎が橋上にて左腕を負傷したとされる場所。伊庭八郎は心形刀流の剣客として知られたが、三枚橋に差し掛かったところで腰部に銃弾を受け、小田原藩士高橋藤太郎に左腕を斬りつけられたという。但し、斬りつけたのは鳥取藩士梶浦清蔵ともいわれ、斬られた場所、負傷した部位についても諸説がある。

三枚橋全景

畑宿方面から三枚橋へ

現在の三枚橋
早雲寺 神奈川県足柄下郡箱根町湯本
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大永元年(1521年)、後北条氏2代氏綱の創建となる後北条氏の菩提寺で、かつては箱根湯本のほぼ全域を寺域とした関東屈指の臨済宗の古刹。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めでは一夜城が完成するまでの間、本陣が置かれた。境内には遊撃隊士人見勝太郎(人見寧)が建てた遊撃隊の顕彰碑と遊撃隊士の墓がある。

早雲寺本堂

遊撃隊戦死士墓

遊撃隊顕彰碑
正眼寺 神奈川県足柄下郡箱根町湯本
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正眼寺
鎌倉時代、箱根山に広まった地蔵信仰に端を発するといわれる臨済宗のお寺。明治元年(1868年)5月26日、箱根山崎の戦いから退却する遊撃隊により放火され、地蔵堂、曽我堂を焼失した。
阿弥陀寺 神奈川県足柄下郡箱根町塔之澤
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慶長9年(1604年)、弾誓上人の創建となる浄土宗のお寺。和宮香華院として知られ、葵の御堂に位牌が安置されている。和宮は明治10年(1877年)8月、脚気療養のため、塔之澤を訪れていたが、脚気から来る心不全により明治10年(1877年)9月2日に他界。芝増上寺での本葬に先立ち、末寺である阿弥陀寺において通夜、密葬が行われた。

阿弥陀寺本堂

阿弥陀寺参道

葵の御堂
箱根関所跡 神奈川県足柄下郡箱根町箱根
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元和5年(1619年)に開設された関所で、大名の謀反を警戒し、特に入鉄砲と出女に対して厳重な取り締まりが行われた。明治元年(1868年)5月、人見勝太郎率いる遊撃隊は、関所を監督する小田原藩兵と開戦し、一時これを占拠した。

箱根関所全景

京口御門

江戸口御門