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慶運寺 神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町
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芝増上寺第三世音誉聖観の開山となる浄土宗の寺院。横浜開港当初、フランス領事館として使用された。慶運寺の末寺で浦島太郎にちなんだ遺品が伝わる浦島伝説ゆかりの浦島寺(帰国山浦島院観福寿寺)を合寺したことから、浦島寺とも呼ばれる。
慶運寺
慶運寺
フランス領事館跡碑
フランス領事館跡碑
成仏寺 神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町
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鎌倉時代の創建と伝わる浄土宗の寺院。安政6年(1859年)の横浜開港当初、アメリカ人宣教師の宿舎として使用された。ヘボン式ローマ字や日本最初の和英辞典「和英語林集成」の編纂で知られるジェームス・カーティス・ヘボン、日本滞在日記を残したフランシス・ホール、聖書の和訳や英語教育を行った宣教師サミュエル・ロビンス・ブラウンなどが滞在した。文久2年(1862年)には、のちに駐日公使となるイギリスの外交官アーネスト・サトウが成仏寺を訪れ、ブラウンに日本語を学んでいる。
外国宣教師宿舎跡碑
外国宣教師宿舎跡碑
成仏寺
成仏寺
浄瀧寺 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷
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鎌倉時代に庵を構えていた妙湖尼が日蓮上人に帰依し、自身の庵を法華経の道場にしたのが始まりと伝わる日蓮宗の寺院。安政6年(1859年)の横浜開港に際し、イギリス領事館が置かれた。初代駐日総領事となったラザフォード・オールコックは開港地が神奈川宿ではなく、横浜村となったことに抗議をしたが、領事館の設置にあたっては条約遵守を主張し、神奈川の浄瀧寺がイギリス領事館にあてられたという。万延元年(1860年)9月には、浄瀧寺を集合地として、オールコックを含むイギリス人8名がここから富士登山に向った。
イギリス領事館跡碑
イギリス領事館跡碑
浄瀧寺
浄瀧寺
神奈川の大井戸 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷
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神奈川の大井戸
宗興寺近くにある井戸で、かつては東海道中を代表する名井戸として知られ、宗興寺を「大井戸寺」と呼ぶほどであった。宗興寺に施療所を開いていたヘボンもこの井戸水を利用したという。
宗興寺 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷
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曹洞宗の寺院。傍らに「神奈川の大井戸」があり、「大井戸寺」とも呼ばれた。安政6年(1859年)の横浜開港に伴い、医療宣教師として来日したデュアン・B・シモンズが寄寓した。シモンズは翌万延元年(1860年)には宣教師を辞任し、医師として十全病院(現横浜市立大学附属市民総合医療センター)の医院長を務めるなど、横浜における医療および医学教育の発展に寄与した。また、文久元年(1861年)には、ヘボンが宗興寺に施療所を開き、幕府の命令で閉鎖されるまで成仏寺から通いながら無料で診療にあたった。
宗興寺
宗興寺
ヘボン博士施療所跡碑
ヘボン博士施療所跡碑
神奈川台場公園 神奈川県横浜市神奈川区神奈川1丁目
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神奈川宿に勝海舟が築いた神奈川台場の西取渡り道(にしとりわたりみち)の場所にある公園。公園の入口にあたる部分は、船溜りへと通じる水路のあった場所で、横浜開港150周年を契機に発掘調査と公園整備が行われた。
神奈川台場公園
神奈川台場公園
案内板の地図
案内板の地図
神奈川台場跡 神奈川県横浜市神奈川区神奈川1丁目
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勝海舟が設計し、幕府が伊予松山藩に命じて、神奈川宿の沖合に構築した台場跡。安政6年(1859年)から約1年を要して構築した人工島の両端からは、それぞれ東取渡り道(ひがしとりわたりみち)、西取渡り道(にしとりわたりみち)と呼ばれる2本の道が設けられ、陸地と結んでいた。台場に設置された14基の大砲は、海上警護の他、礼砲用として用いられたという。台場は現在埋め立てられ、敷地の大部分はJR貨物東高島駅となっているが、周辺地域において部分的に神奈川台場の石垣を確認することが出来る。この神奈川台場跡碑のある場所に露出している石垣は、神奈川台場の北西部分にあたる。
神奈川台場跡碑
神奈川台場跡碑
神奈川台場石垣
神奈川台場石垣
星野町公園 神奈川県横浜市神奈川区星野町
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神奈川台場南側の石垣の一部を確認することが出来る公園。
神奈川台場跡碑
神奈川台場跡碑
神奈川台場石垣
神奈川台場石垣
案内板の地図
案内板の地図
普門寺 神奈川県横浜市神奈川区青木町
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普門寺
真言宗智山派の寺院。洲崎大神の本地仏にあたる観世音菩薩を安置したことが寺名の由来と伝わる。元治元年(1864年)、イギリスは港が見える丘公園から横浜山手聖公会一帯に第20連隊第2大隊約1200名を駐屯させた。普門寺は、イギリス軍駐屯に際し、イギリス軍士官の宿舎として使用された。
甚行寺  神奈川県横浜市神奈川区青木町
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明暦2年(1656年)の創建となる浄土真宗高田派の寺院。万延2年(1861年)、品川宿の済海寺に置かれていたフランス公使館が神奈川宿に移転し、甚行寺に置かれた。フランス公使館は、のちに横浜の旧弁天社跡に建設され、慶応2年(1866年)に甚行寺から移転した。
甚行寺
甚行寺
フランス公使館跡碑
フランス公使館跡碑
権現山 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷
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権現山
かつては神奈川宿の象徴として存在した高い山で、熊野大権現が祀られていた。安政6年(1859年)に着工した神奈川台場の人工島構築のために掘削され、明治に入ると鉄道敷設の目的で埋め立てに利用された。写真は本覚寺からの眺望となるが、現在では本覚寺よりも低い印象を受ける。熊野大権現が祀られていた往時の面影はない。
本覚寺 神奈川県横浜市神奈川区高島台
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鎌倉時代の嘉禄2年(1226年)開山となる曹洞宗の古刹。元は臨済宗の寺院として開山したが、権現山の合戦による荒廃を経て、曹洞宗の寺院として再興した。安政6年(1859年)の横浜開港に伴い、アメリカ領事館が置かれた。当初幕府は横浜に領事館を用意したが、駐日公使のタウンゼント・ハリス自身が見分して横浜を見渡せる本覚寺を領事館に定めたという。アメリカ領事館時代に領事館員が彫刻などをペンキで塗装したとされ、ペンキ跡の残る山門と鐘楼堂が現存する。文久2年(1862年)の生麦事件の際には、約5Km離れた事件現場からウッドソープ・チャールズ・クラークとウィリアム・マーシャルの2名が本覚寺に避難した。2名共刀傷を負っており、ヘボン博士が治療にあたったという。境内には、横浜開港の恩人として、岩瀬肥後守忠震の顕彰碑も置かれている。
ホームページ 曹洞宗青木山本覚寺
本覚寺
本覚寺
ペンキ跡の残る山門
ペンキ跡の残る山門
アメリカ領事館跡碑
アメリカ領事館跡碑
岩瀬肥後守忠震顕彰碑
岩瀬肥後守忠震顕彰碑
掃部山公園 神奈川県横浜市西区紅葉ヶ丘
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井伊直弼像
井伊直弼像
掃部山公園は旧彦根藩有志が横浜開港50周年にあたる明治42年に井伊直弼の功績を記念し、銅像を建てるために購入したもので、井伊家の所有となった後、横浜市に寄贈されて公園となった。銅像となっている井伊直弼の衣装は、正四位上左近衛権中将の正装とのこと。
神奈川奉行所跡 神奈川県横浜市西区紅葉ヶ丘
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神奈川奉行所跡
横浜開港に伴い、安政6年(1859年)6月4日、会所(青木町)、運上所(横浜村)と共に戸部村に開設された神奈川奉行所(戸部役所)跡。初め外国奉行が兼任となり、開港事務を行ったが、後に2名の奉行が任命されて専任となった。
神奈川運上所跡 神奈川県横浜市中区日本大通
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神奈川運上所跡
横浜開港に伴い、日本大通りの東側が外国人居留地と定められ、安政6年(1859年)日本大通りの西側(現神奈川県庁)に神奈川奉行配下の神奈川運上所が設けられた。運上とは税金を意味するが、神奈川運上所は関税だけではなく、外交事務を幅広く取り扱う役所であった。明治元年(1868年)に明治政府に引き継がれ、明治5年(1872年)に横浜税関と改称した。
横浜開港資料館 神奈川県横浜市中区日本大通
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日米和親条約が結ばれた地に建つ資料館。横浜開港の歴史を様々な資料と共に展示、公開している。中庭にある玉楠の木は江戸時代から同じ地にあるもので、日米和親条約は玉楠の木付近に用意された応接所で行われたという。ペリーの随行画家であったヴィルヘルム・ハイネの描いた「ペリー提督横浜上陸の図」の右端に描かれているのが水神社と玉楠の木であると言われる。イギリス領事館建設に伴い、水神社は移転し、玉楠の木は残されたものの、関東大震災で焼失した。現在の幹は焼け残った根から芽を出した2代目とのこと。
ホームページ 横浜開港資料館
日米和親条約締結の地
日米和親条約締結の地
玉楠の木
玉楠の木
ペリー提督横浜上陸の図
ペリー提督横浜上陸の図
象の鼻 神奈川県横浜市中区海岸通1丁目
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象の鼻
安政6年(1859年)横浜開港に伴い、幕府が建設した2本の突堤のうちのひとつ。東側を東波止場(イギリス波止場)、西側を西波止場(税関波止場)と呼んだが、元治元年(1864年)さらに東側にあたる外国人居留地側に新たな波止場が出来ると2本の突堤を総称して西波止場と呼んだ。慶応3年(1867年)イギリス波止場が湾曲した形状に改築され、「象の鼻」と呼ばれる様になる。関東大震災で被災したが、横浜開港150周年を記念して、往時の姿に復元された。
英一番館跡 神奈川県横浜市中区山下町
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英一番館跡
英国商社ジャーディン・マゼソン商会跡。横浜の外国人居留地の一番館にあたる場所であったため、英一番館と呼ばれた。神奈川県立歴史博物館に横浜外国人居留地の模型が展示されている。
フランス海軍病院跡 神奈川県横浜市中区山下町
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フランス海軍病院跡
元治元年(1864年)6月にフランスが諸国に先んじて領事館用地に建設した海軍病院跡(現ホテルニューグランド)。ホテルニューグランドは、昭和20年(1945年)8月に厚木飛行場へ降り立ったダグラス・マッカーサーが滞在したホテルとしても知られる。
横浜人形の家 神奈川県横浜市中区山下町
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人形専門の博物館。入口横に津田潔志氏が製作した黒船来航ジオラマが展示されている。この黒船来航ジオラマは、ペリーの随行画家であったヴィルヘルム・ハイネが描いた「ペリー提督横浜上陸の図」を元に横浜開港150周年記念の展示品として製作されたもので、本来は上陸するため浜辺に向かうボートの後ろにサスケハナ号が浮かんでいた。現在はサスケハナ号を除いたものが部分展示されている。
黒船来航ジオラマ(部分)
黒船来航ジオラマ(部分)
海側より黒船来航ジオラマを覗く
海側より黒船来航ジオラマを覗く