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鈴ノ宮稲荷神社 茨城県石岡市国府2丁目
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鈴ノ宮稲荷神社
元治元年(1864年)3月27日、遊郭新地八軒に分宿していた藤田小四郎ら天狗党総勢63名は、隣接する鈴ノ宮稲荷神社の境内に集合し、成功を祈願。ときの声と共に、筑波山に向けて出立した。境内に建つ鈴ノ宮稲荷神社の由来記には、『筑波義挙発祥の地』と刻まれている。
紀州屋跡 茨城県石岡市国府2丁目
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紀州屋跡
紀州屋は府中(現石岡市)にあった八軒の妓楼から成る遊郭新地八軒のなかの一軒で、筑波挙兵前に藤田小四郎らがその拠点とした。紀州屋の女主人いく子は女丈夫として知られ、浪士らの面倒をよく見たという。天狗党の同志達は紀州屋を中心に新地八軒の各妓楼に分宿し、集まっては挙兵に向けての協議を重ねた。写真は、鈴ノ宮稲荷神社の隣、新地八軒の金枡屋、紀州屋があったあたりと思われる。