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2003年09月

残暑も束の間、風の冷たい季節到来!!

2003年09月20日 土曜日

坂本龍馬の書簡が発見された。慶応元年(1865年)に書かれたと見られる池内蔵太の家族宛の書簡で、大正14年(1925年)を最後に所在が不明になっていたとのこと。約80年振りとなる発見に所有者を探しあてた研究者のかたの執念を感じる。興味のない人にとってみれば、単なる紙きれでしかない訳で、散逸した書簡の類は時間を経る程、失われてしまう可能性が高い。約80年という歳月の中では幾人か、その所有者が変わっている可能性もある。それを思うと、現存し、かつ発見されたということはある意味奇跡に近いのではないだろうか。こういうニュースが流れる度に、こういった文化財の調査と保存に税金の一部を使うことは出来ないのかと考える。この国はもっとそういうことに積極的になってもいいと思うのだけど。

Sankei Web 竜馬の手紙80年ぶり発見 故郷の土佐、懐かしむ内容

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2003年09月18日 木曜日

歴史街道の10月号でペリー来航を特集している。この中に旗艦サスケハナ号を始め、ペリー艦隊の構成が図解入りで紹介されていて興味深い。個人的に海のない土地に育ったせいか、帆船から戦艦まで海に浮かぶ巨大な船に漠然とした憧れを抱き続けていて、つい夢中になって見入ってしまった。観光丸を始め、幕府、諸藩を問わず、幕末の艦船で、咸臨丸や開陽丸の様にその姿形が明確に伝わっているものはどの位あるのだろう。明確になっているものだけでも、どこかのメーカーでシリーズ模型化してくれないだろうか。机の上に沢山並べるだけでもワクワクする。

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2003年09月17日 水曜日

いま、立っている場所の150年前の景観がどうだったのか、時々真剣に考えることがある。それは往々にして事件の現場であることが多いのだけれど、何の脈絡もない場所だったりすることもある。事件の現場に立っている時は、少しでも当事者達の視点に立ちたくて乏しい想像力を発揮する。また、何の脈絡もない場所の時は、ただ単にその時代のその場所の雰囲気を訪ねてみたくてやはり乏しい想像力を発揮する。建物の高さ、動物の鳴き声、水の流れる音、見上げた夜空に浮かぶ星の数、・・・など。人々が存在し、生活している限り、景観は変わり続ける。150年後の人達は果たして僕らのこの時代の景観を振り返ったりすることがあるのだろうか。

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2003年09月16日 火曜日

文久3年(1863年)のこの日、新選組の屯所が置かれた京都壬生の八木邸において、局長芹沢鴨が近藤派に暗殺粛清された。3人の局長のうち、新見錦はこれに先立ち祇園新地の貸座敷において詰め腹を切らされており、芹沢鴨の暗殺によって新選組は近藤勇のもとに統一された形となる。近藤勇と対比して描かれる際、どうしても悪者のイメージが先行してしまいがちではあるけれど、果たして本当にそうだったのだろうか。大河ではこの芹沢鴨を佐藤浩市が演じる。池田屋騒動とあわせて芹沢鴨暗殺は前半の見せ場のひとつになるのだろうけれど、三谷幸喜がどの様に主人公近藤勇と芹沢鴨を対比させていくのか、いまからとても楽しみにしている。

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2003年09月08日 月曜日

安政6年(1859年)のこの日、旧小浜藩士梅田雲浜の捕縛をもって、安政の大獄の火蓋が切って落とされた。梅田雲浜は嘉永年間から将軍継嗣問題、水戸藩に対する密勅降下に関与し、志士の間で中心的存在だった人物。梁川星厳、頼三樹三郎、池内大学と共に悪謀の四天王に数えられたが、大獄によって捕縛されると僅かその数日後、幽閉された小倉藩主小笠原忠嘉屋敷内の獄舎において病没した。悪謀の四天王のうち、梁川星巌は大獄の直前に死亡、頼三樹三郎は大獄により獄死、池内大学は後に岡田以蔵らによって暗殺。梅田雲浜の死は一説に毒殺ともいわれる。

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